卒業遍路2021やりました。

コロナ禍の一年、たいへんな年度でした。その中でも卒業遍路を開催することができました。参加者は14名。まったく広報ができなかった現状+密にならないギリギリの人数と考えれば、ベストな形で開催できたように思います。

行程は、小豆島町立図書館前に集合。そこから(13)栄光寺〜(14)清瀧山〜(20)佛ヶ瀧〜(18)石門洞〜(17)一ノ谷庵〜(16)極楽寺〜(15)大師堂〜小豆島町立図書館というコース。
栄光寺から、小豆島霊場最高峰にある清瀧山へ登り、石門洞で護摩祈祷を体験し、そこから下山して、極楽寺で大般若の加持をしていただき、集合場所の図書館前に戻ってくる、小豆島遍路を満喫する15kmの行程でした。

卒業遍路を行った後、ご協力・ご協賛をいただいた関係各位に、A4で10頁ほどの報告書を配って、御礼行脚するのですが、今年はそんなに配る先がないので、そこにツラツラと書いた締めの言葉を掲載したいと思います。


後から読み返してもわかるように、今年卒業遍路を開催した背景を、昨年からの流れで書き残しておこうと思います。

2020年小豆島で初めて新型コロナウィルス感染者が出たとき、心ない誹謗中傷、根も葉もない噂が蔓延して、特定された感染者のみならず、その周辺の人たちまで疑いの目を向けられる田舎のよくない側面が存分に発揮されました。

年末に小豆島町でクラスターが発生したときも同様で、「けしからん」「出ていけ」とこらしめるのが正義と言わんばかりの自警団のような人たちが、叩いていい弱者を創り上げてストレスの捌け口にしました。モノ言えぬ戦時中の空気とは、このようなものか、とその空気に飲まれて、自分も行動や気持ちが萎縮していく経験をしました。

また、学生の中にも感染者が出たことから、高校は休校になって、とても例年通りの広報ができる状況ではありませんでした。

昨年の卒業遍路も、コロナ禍の影響で3月にはあらゆる行事が中止になって、唯一卒業遍路だけが開催されました。その時は、いろいろ準備をしてきたし、生徒を思いやる学校の先生たちの熱い勧誘もあって、その想いに応えなければ!と勢いで決行しました。

30人集まった参加者からはやってくれて良かったという賞賛の声をたくさんいただきましたが、振り返ると自分はともかく協力してくれた人たちに危ない橋を渡らせてしまったな、という想いも残りました。

年末のクラスター騒ぎのコロナハラスメントを経験した後だと、卒業遍路絡みでコロナ感染者を出すとどういう叩き方をされるか、容易に想像できました。スタッフの中にはIターンの家庭も多かったので、親が感染して子供だけが残されると、家庭崩壊の危険があります。自分がその責任を負えるわけもなく、どう考えてもやらない方が賢い、という気持ちが自分の中では大きくなっていました。

年が明けて、2ヶ月経っても、東京や大阪などの都市部では未だに緊急事態宣言が発令されたままで、観光客もお遍路さんも、島の行事も何も動かない状態で、今年はやらないというのが半ば確定していました。

しかしながら、2月末になると東京以外の緊急事態宣言が解かれ、それまでの空気が緩和して、一転、何かやっても許される雰囲気が出てきました。

そこに、いつも手伝ってくれるスタッフの一人から、「息子が中学卒業するんだけど、卒業遍路やらないの?」と問い合わせがあり、他にも「今年はどうする?」と言う人が増えて、俄にやるべき!という波が押し寄せてくる感じがありました。


コロナ禍の年度、その中で1年間通して最終学年を経験した子供たち、彼らの心境を安易に想像することはできません。
ただ、自分の経験に照らし合わせてみると、根暗な学生生活だったにせよ、いろんな活動を通して、思い出に残る経験を同窓生と共有できたことは財産でした。
だから、そうした糧となる機会を自分たちの力で細やかでも提供できるなら、できる形を模索したい。

結局、何のために続けている行事なのか、という原点に立ち返ったときに、一人でも「行きたい」という子がいるなら、やる以外の選択肢はない。卒業の思い出に遍路があるなんて最高じゃないですか。

2月末に覚悟を決めてからは、忙しかったです。どんな小さな行事でも、独りではできませんし、それなりに費用もかかります。参加者が少ないから、中途半端な内容でいいや、というわけにはいきませんし、コロナ対策も考えねばなりません。

限られた予算の中で、当日のクオリティを下げない部分に特化して、費用負担が大きなバス移動や、腕輪念珠、フォトブックなどのプレゼントは省いて、コース設定と内容を決めました。

例年、小豆島中央高校の合格発表日前日というタイミング(中学生にとって予定が何もない、かつ、島外へ進学する高校生がまだ島を離れていない)で開催日を決めていたので3月17日を開催日にしたところ、いつも手伝ってくれる先達さんや若手僧侶の誰もが既に予定あり、遍路経験のある大人が私を除いて1人だけ、という最低限の布陣。

それなのに、参加費がネックになって人が集まらなかったら嫌だな、という見栄があって、最初の数人に参加費500円でええよ!と軽口を叩いてしまったので、スタッフの大人から参加費をいただいたりしました。手伝ってもらうのにお金をとる。大林に関わるとロクなことがない、と思われても仕方がないところですが、志に集まってくれたメンバーだったので甘えました。

予算がないので、まず諦めなければならない動画による記録は、いつもやってくれているCubic-ttの坪佐さんが、「卒業遍路のためなら」とボランティアでやってくれる意思を示してくれました。終日のロケとその後数日にわたる編集作業、忙しいのは重々わかっていたので、まったくもってあり得ないことですが、それがあるのと無いのとでは、関わる全ての人間にとっての記憶に影響をするので、思いっきり甘えました。

行事を続けていくためには、収支のバランスを考えないと、継続はできません。今までは小豆島町の助成金に頼ってきて、昨年は人間塾の助成金もいただきました。今年に関しては、まったくの独立採算、予算は1/10で、持ち出しを覚悟せざるを得ない状況でした。

しかし、いつも遠方から支援くださる素敵なお遍路さん「和歌山レディース」の皆様が、急遽やることになった卒業遍路に対して即座に噠嚫(たっしん)を送ってくださいました。それに、コロナで継続的な開催はできなかったけれど、普段の遍路行事の参加費から実費を差し引いた余剰のお金を加えて、無事開催に漕ぎ着けました。

映像の御礼はいずれまとめてお返しせねばならないと思っておりますが、小さくやろうと思えば、改善する余地はまだまだあった、という気づきを得られたのはコロナのおかげかもしれません。コロナ禍を経て、不要な常識からどんどん脱却しつつある実社会になぞらえる部分がありました。 

苦難の年度を経て、なお続いていく卒業遍路は、時代のニーズに対応し、柔軟に変化し続けるものでありたいと思います。(実行委員長 大林慈空)

2021-04-09 | Posted in お知らせ, 体験談, 卒業遍路Comments Closed 

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