遍路手記 by 東京より

東京より各地の札所を巡られている島崎様より、霊場を巡りながら記録した手記を送っていただきました。
東京より、連休をつなげて一気に回られる方にはとても参考になる内容だと思います。
島崎様は、既に小豆島霊場2巡目に突入しているそうです。
 
小豆島八十八ヶ所巡拝(24番から88番)

3月13日(月)曇り雨 出発

22:00東京駅

3月14日(火)晴れ 1日目 歩き島お遍路

寝台特急サンライズ瀬戸にて高松へ向かう。高松港から高速艇にて草壁港に行く予定であったが、高速艇保守点検のため、本日まで運休であった。そこで急遽、土庄港までの高速艇に変更する。土庄港から路線バスにて草壁港へ向かう。去年の11月に第1番~第23番まで島遍路で巡拝しているので、第24番安養寺からのスタートである。
 
山門は建て替え中であり脇から境内に入る。読経後ご朱印をいただき住職さんと立ち話をする。宮大工さんは、栃木から来て、山門修復をしている、とのこと。何分か前に、埼玉の歩き遍路の方が巡っている、とか。第26番のご朱印も一緒にもらう。
天気は良好、風がやや強いが、肌寒さはない。第26番誓願寺庵、第27番桜庵と無住を打ち第28番阿弥寺へ、ここで第27番のご朱印ももらう。国道436号へ出て、三都半島の蒲野方面へ向かう。ここで、安易な考えが露見、途中でおにぎりかお弁当を買えると思っていたが、甘かった。小豆島オリーブ園には、お土産はあってもおにぎりお弁当はなく、ドーナツとラスクで間に合わす。しょうがない、自得なり。代金の端数、お接待してもらった。ペットボトルは2本準備。歩き続けるために、お米、炭水化物が必要である、経験から証明されている。だが、喉元過ぎれば熱さ忘れる、の類であった。半島の長崎の道端で、ドーナツとラスクをかじり休憩する、内海湾は穏やかで先方の半島には、映画「二十四の瞳」の撮影地、岬の学校がある。コミュニティバスも、通り過ぎて行った。
1キロぐらい歩き、蒲野部落に入る。郵便局から手前右に入った所に、第28番薬師堂があった。以前はこれから向かう、第29番風穴庵の途中にあったが、近年海岸近くに下りてきたようだ。第29番風穴庵までは、手すりありの急坂が続く、遍路道の脇には、切りだされた岩が、脇に並んでいる。結構険しい峠道である。峠を文字通り、上り下りする。しばらくするとアスファルト道になる。下り坂を軽やかに歩く。第30番正法寺に到着する。
 
ご本尊は金剛界大日如来。ご真言「オン アビラウンケン バザラ ダトバン」智拳印を結び結跏趺坐(けっかふざ)、像高は32.8センチ小作りとある。読誦後、納経所に人いないことに気づく。「人がいない時は、ご朱印を捺して下さい」と明記ある。今まで自分で捺したことがなかったので、戸惑い番違いの場所に捺してしまう。峠道を過ぎて安堵し、気の緩みなり。油断大敵、修行がまだまだ足りんと、自戒する。山登りも、気が緩む時にケガしやすいとか。第28・29・30番と3ヶ寺分を捺し、箱に納経代納める。
第31番誓願寺へ。寺前では電力線の工事をしていた。立派な本堂で、声を張り上げ読経する。外ではそれに負けないくらい、木を伐採中のチェーンソーが唸っている。本堂から出て石段を下りながら「ご苦労様でした」との声。チェーンソーのご住職さんから挨拶される。「ありがとうございました。お世話になりました」と返礼の挨拶をし、納経所にてご朱印をもらいあとにする。このお寺は、樹齢千年を超えた蘇鉄があり大きさと勢いで日本一とか。
第34番保寿寺庵、国道端の小高い場所にある。元は池田郷の亀山神社の別当であったが、明治の神仏分離・廃仏毀釈でこの室生集落に移されたとか。
第32番愛染寺は本尊が愛染明王で、縁結びの仏として知られている。ご真言は、馴染みない「オン マカラギャバゾロシュニシャ バザラサトバ ジャクウンバンコク」でちんぷんかんぷんである。ご真言は音写であるため、サンスクリット語の音を漢字の読みに当てはめている。
ご真言は、意味はないが、音の響きにより言霊の如く生きている言葉である。呪力(法力)が備わっている。ご真言を何百回、何千回、何万回、繰り返し唱え、さらに何十万回、百万回、繰り返しの妙により、心にある力が触発される。その人のキャパ、或いは精進により効能は様々である。
このお寺のご婦人に、第30番でご朱印を捺し間違えた事を話す。リックを背負ったまま読経する。「よくある事ですよ」と慰められ、「リュックが重そう」と云われる。
このお寺のご本尊愛染明王は良縁をもたらすという。「縁」は、仏教にとって大事な言葉で、物事の実体があるのでなく、原因から結果によって、縁起により成り立っている。永久なる実体があり、そこから世界を説明するのでなく、関係の現象によって物事を考えて世界を説明している。さらに、「空」の考えに発展していき、諸行無常・諸法無我・涅槃寂静の三法印に達する。
私は大学の頃、異なる意味合いであるが、縁という言葉に出会った。安岡正篤氏の言葉「縁尋機妙 多逢聖因」という言葉に感銘を受けた。人はできるだけいい機会、いい場所、いい人、いい書物に会うことを考えねばならない。日大商学部の1年から2年にかけて東松山の堀田さんという、おばさんにお世話になった。安岡先生も堀田家から、養子にて安岡姓に変わる。兄は、堀田眞快大僧上・高野山金剛峰寺第403座主である。埼玉県の武蔵嵐山に、安岡先生の安岡教学研修所があり、東松山の隣であつた。秩父ゆかりの鎌倉武将は、畠山重忠である。この武将は鎌倉武士の鑑と称された。畠山重忠の館跡に教学研修所がある。何らかの因縁ありやと思った。
15分程にて、城山の丘にある、国民宿舎小豆島へ到着する。見晴らしが素晴らしく、雲がなければ赤々とした夕日が沈む様が感無量である。雲なく沈む夕日を見ることは稀有か。360°眺望できるため、風の吹き当たりが強い。
しばらくして洗濯のため、コインランドリーに向かうが棟が離れているので、入浴した体が冷えてしまった。再度洗濯物を取りに行くときには、レインコートを着て行く。
午後8:00頃から屋上にて、夜空に輝く星の観賞会があった。宮沢賢治の世界「銀河鉄道の夜」や星に興味ある方は、参加されたい。私は、寒さと眠気、疲れにて、次の日の体力を養う、という名目でパス。
本日の巡拝10ヶ寺・32000歩・約21.8キロ
第24番安養寺・第25番誓願寺庵・第26番桜庵
第27番阿弥陀寺・第28番薬師堂・第29番風穴庵
第30番正法寺・第31番誓願寺・第34番保寿寺庵
第32番愛染寺

3月15日(水) 晴れ 2日目 歩き島お遍路

宿を7:30頃出て城山を下る。連泊なので身軽な出で立ち。途中に、有名な池田の桟敷があり、石垣づくりで野積みされたもの。亀山神社の秋の大祭で、神輿や太鼓台を見物するために作られたようだ。
池田の第33番長勝寺へ、8:00前納経所を通り本堂へ。整った立派な本堂と庭園で豪華なり。読経をすませご朱印をいただく。お寺の長老さんから、香ばしいコーヒーのご接待していただく。また、歓喜団のお菓子があったので、「これお幾らですか」と尋ねる。京都の名店でしかないお菓子、中国から伝わってきたと思う。めずらしいお菓子で、胡麻油で揚げ中に小豆餡が入っている。皮は小麦粉に薬草と木の実をまぶしている。お寺の手拭いまでも、更にお接待していただいた。
以前、西国観音巡礼のおり、信貴山朝護孫寺の玉蔵院宿坊にお世話になり、護摩祈祷や散華声明を初めて体感する。朝、奈良の西国観音霊場第8番豊山長谷寺へ巡礼に向かうとき歓喜団をいただく。尚前日は、安岡氏の生育の地、四条畷神社や孔舎衙の春日神社(浅見晏斎)の記念碑を訪れている。
話が飛んでしまったので、もとへ戻す。ご長老さん曰く「島遍路の興隆時は、春にもなると、山腹にお遍路さんの白衣が線となり繫がっており、宿も7~8件はあった。池田桟敷の広場にて、柴燈護摩を焚いていた」と。
池田港の方向へ歩む。ふれあい産直広場にて、前日の教訓から、お弁当をがっちり買う、地元の野菜や花が沢山あり、特に菊花が多かった。池田港から土庄方面に歩き、第40番保安寺を目指す。
このお寺は、「諸病きゅうり加持」という当山独自の行事あり、毎年7月と8月の土用丑の日に行われる。ここで、第41番佛谷山の山道を尋ね、「トイレの水を拝借します」とことわったところ、高野山の霊水、ペットの八葉水をお接待いただく。
お寺の脇からお墓を見ながら、遍路道を歩く。第41番佛谷山までの遍路道に、素晴らしき言葉の標識あり。    以下の通り、自戒しかつ納得しながら歩く。
 
「人間は自分に都合のいい人を 良い人といい 自分に都合の悪い人を 悪い人という」
「たった 一言が 人の心を傷つける たった 一言が 人の心を暖める」
「ご用心 忙しいという字 心が 亡ぶと書きます」
「迷いとは 心が 二つになること 悟とは 心が一つになること」
「苦しいことから逃げていると 楽しいことからも遠ざかる」
「耳をすませば 風の音は仏の声 目を開けば 山や緑も仏の姿」
遍路道を歩き、ガラケイで頷きながら写メする。最後の言葉が、上手く締めている。起承転結の結びである。
安岡正篤氏から学んだ蘇東坡の詩
溪声便是広長舌  山色豈非清浄身
絶え間なく響く谷川の轟音 山の青々とした風光
緑深き木々の森、森羅万象そのものすべてが、そのまま清浄な仏の姿であり説法である。
夜来八万四千偈  他日如何人挙似
朝から晩まで絶えることない如来の説法を聞くことができる。この素晴らしい感激をどう伝えたらよいか、筆舌に尽くし難い。
山に親しみ愛しながら、歩かせてもらえていることに感謝。お遍路とは、「心を磨き心を洗うみち」と詠う、高知県東洋町、鯖大師の明善和尚が四国のお遍路峠で、札を木々に括り付け、歩き遍路を鼓舞されていた。
第41番佛谷山へ。島薬師と呼ばれている、ご本尊様の前に若い僧侶の遺影があり、尋ねると病にて若くしてお亡くなりになったとか。管理人の方と立ち話をする。数枚のパンフレットをもらい、甘酒のお接待いただく。山門脇の遍路道を通り15分くらいで、次のお寺へ行くことができると教えてもらう。
比較的平坦な山道を通り、第42番西ノ瀧へ到着。時折、歩き遍路の方で、アスファルト道を行ってしまい、余計に40分から50分、時間を浪費される方もあると。行く道が分からない自信のない時は、極力お寺の人か地元の人に尋ねることを勧める。
住職さんから、この場所から、お四国の屋島や瀬戸内の島々が、随一に眺望できる場所と説明される。護摩堂にて、護摩木を二本奉納する。甘酒のお接待があり、ありがたく頂戴する。下山の途中で、お弁当のお稲荷を食べる。アスファルト道を下り、第35番林庵へ向かう。観光バスが、お遍路さん一行を乗せて上って行った。ここの第42番西ノ瀧は、ご本尊十一面観世音菩薩であり、ご真言は「オン マカ キャロニキャ ソワカ」であるが、護摩堂脇の十一面観世音菩薩のご真言は「オン ロケイジンバラウン」であった。「とらわれず・こだわらず・かたよらない」我に執着せず広い自在な心で観ましょう。
第35番林庵へ着き、ロウソク・お線香を忘れてきたことに気づく、山道を登り下り、再チャレンジする気力がなく断念。庵にあるロウソク・お線香を灯し賽銭箱に小銭を入れる。
第39番松風庵へ、オリーブ栽培の井上誠耕園付近で、道を聞きながら第39番松風庵を探す。丁度、お昼のサイレンが鳴り、小綺麗なカフェがあり入ろうかどうしょうか、と迷う。が、少しでも多く打ちたいと思い、足早に過ぎ去る。第39番松風庵は、墓地の中にあり素早く読誦する。
矢印に従い、第38番光明寺へ。鐘楼前の梅にヤマガラが姿を現した。しばらく独自の動きを眺める。鐘撞く前に、お賽銭の音にて飛び去る。鐘の余韻を味わいながら読誦。近くの早咲きの桜(後日確認、早咲きの修善寺河津桜)に、群れのメジロが押し寄せ、花中から地鳴きが聞こえる。しばらく春を体感しながら佇む。一羽が飛び去ると一斉に山門脇の早咲き桜へと移り行く。
ここで、またやらかす。本来は戸を開け、ご朱印を捺すべきお寺であったが、納経所が閉まっていたので通り越す。鳥と花の出会いに春を感じ、脳がぼんやりしていた。もっとも、心が癒されている時でもあるが。       次のお寺、第37番明王寺・第36番釈迦堂を探しながら、「小豆島八十八ヶ所お遍路案内図」を見て、ご朱印を捺すべきお寺と気付く。
第37番明王寺で、わけを話し納経所が閉まっていた旨を説明する。親切にご住職さん、電話をかけて車で第38番光明寺さんまで乗せてくれる。ご朱印も捺していただき、また、車にて第37番明王寺までお世話になる。「今の時間で、何処のお寺まで歩行可能ですか」と尋ねる。「普通は第46番多聞寺まで」と教えていただく。大変助かった、ピンチもご住職のお蔭様によってチャンスに変わる。
同じ境内にある、第36番釈迦堂も読経し第43番浄土寺へ向かう。国道252号の坂道を中山方面へ歩き第43番浄土寺へ到着。第45番地蔵寺堂も同じ境内にある。地蔵堂の柱に、「森仙」の千社札あり、昭和のこの頃(おそらく40年代)は貼ることが可能であったか。(本来貼付厳禁だが)懐かしく、この地で故郷の先人の足跡を見る。この2ヶ寺を読経し終わり、石段を下り脇に、お接待を当たり前にしている稀有な民家があった。丁度、季節行事の雛飾りを観ながら、話を伺う。
「今の時間なら、第44番湯舟山・第47番栂尾山・第48番毘沙門堂・第46番多聞寺まで行ける」とのこと。「行けるところまで行って電話してもらえば送ってくれる」とのこと。ご厚意に甘え過ぎても良くない。ご迷惑かけたくなく、丁寧に辞退する。本来、同行二人のお遍路マナーでは、辞退すべきでない。
以前も何人かお世話された方がおり、送迎のお接待をされたとか。お茶とお菓子のお接待、バス時刻表をいただき、納め札を手渡し、第44番湯舟山へ向かう。
本当に親切な方がいるなぁ…と心で思う。こういう機会、縁を持てただけでも、歩行が軽やかで気合が入る。  第44番湯舟山を参拝し、眼下に有名な中山の千枚田、棚田を見ながら足を急がせる。
閂を抜いて洞窟へ第47番栂尾山、ご本尊十一面観世音菩薩ご真言「オン ロケイ ジンバラ キリク」 を打つ。洞窟内の響きよく、久々に「観音経の偈」を読経する。第48番毘沙門堂へ急ぐ。途中正面に大きな白衣の観音像・しあわせ観音が見える。第46番多聞寺へ着き参拝、納経所にて池田方面のバス時刻表を再度確認する。4時が出たばかり、次は5時半であった。
肥土山のスーパーでお腹を少し満たし休憩。ご主人が話しかけてくれしばし談笑、親切にも池田方面のお客さんに話を付けてくれる。国民宿舎小豆島まで車にてお接待していただく。この交渉のお蔭様にて、早く宿に着き、ゆっくり本日の疲れを癒せた。本日はいろいろな方にお世話になり、お蔭様にて生かされていることを実感、今日のいのちに感謝する。
本日の巡拝15ヶ寺・28500歩・約19.3キロ
第33番長勝寺・第40番保安寺・第41番佛谷山
第42番西ノ瀧・第35番林庵・第39番松風庵
第38番光明寺・第37番明王寺・第36番釈迦堂
第43番浄土寺・第45番地蔵寺堂・第44番湯舟山
第47番栂尾山・第48番毘沙門堂・第46番多聞寺
宿泊 国民宿舎小豆島☎0879-75-1115
 

3月16日(木) 晴れ 3日目 歩き島お遍路

7:30に小豆島国民宿舎を出る。城山を下り路線バスの停留所、小豆島中央病院前にて待つ。この場所は全島バスの拠点なり、島の住人が利用しやすいように路線が組まれている。中山線、小豆島中央病院前発8:09で前日の場所、肥土山停留所8:20に下車。昨日同様に天気に恵まれ、しあわせ観音も青空を背に白い姿でアピールしている。昨日お世話になったスーパーを通り過ぎ、第74番円満寺へ。納経所に人がいないのでセルフペッタンする。代金所定の場所に納める。県道26号の坂を下り、第49番東林庵へ読経し始めると、犬の鳴き声が騒がしかった。
緩やかな下り坂を、土庄方面へ歩き第50番遊苦庵へ着く。この庵は、耕地の人により管理され、廻り当番にて花を手向けたり水を替えたり庵内の掃除をしている、と掃除している方から聞く。多くの庵は、このような管理でお年寄り同士の情報交換の場でもある。
次のお寺は、3ヶ寺がまとまっていた。第52番旧八幡宮・第54番宝生院・第51番宝幢坊の順に参拝。第54番宝生院の本堂に入り、正座して読経する。正座した方が、私には足の休養になる。隣の第51番宝幢坊にて、脇にはご本尊の十一面観世音菩薩で、正面は忿怒相(ふんぬそう)、降魔相(ごうまそう)の毘沙門天(びしゃもんてん※後日電話確認)である。その前に、護摩壇があり、護摩が焚かれているようだ。ここで、7ヶ寺分のご朱印を捺す、大分セルフペッタン慣れてきた。丁度、良い休憩場があり自販機のコーヒーでひと休み。
遍路道たわわに実っている柑橘類を見、満開の白梅を愛でながら、写メに収め山道を登っていく。丘のうえに、第55番観音堂があった。ご本尊は、馬頭観音菩薩で小豆島八十八ヶ所でも、この庵だけである。
更に山道を登り、ご本尊(役行者、えんのぎょうじゃ)の第56番行者堂へ到着。ご真言は、神変大菩薩(じんぺんだいぼさつ)「オン ギャクギャク エキウバソク アラカキャ ソワカ」である。ガイドブックには、歩き遍路にとって昔から結願の札所であると、説明されている。ここからの見晴らしがよく、穏やかな瀬戸内の海や土庄港が見える。
山道を下っていく、丁度昼時、大衆食堂川崎屋さんあり、そこでカツカレーを食べる。こころ旅、火野正平さんの色紙があった。
まずは、本日の宿泊旭屋旅館に荷物置き、身軽にてこれからの歩き計画を立てる。途中の小豆島霊場総本院へ寄り読経し、ご朱印を捺す。本来は二階の授戒を受けてから、小豆島八十八ヶ所を巡拝すると、ガイドブックにある。お昼時であったため、人がいなかった。旭屋旅館へ行き荷物を預ける。小高い丘にある、第62番大乗殿・第63番蓮華庵と巡る。小豆島霊場総本院へ再度寄り、近くの第64番松風庵を教えてもらい巡拝。
この後、土庄にある尾崎放哉(おざきほうさい)の記念館を訪問する。前から訪れてみたいと思っていた。お四国にて種田山頭火(たねださんとうか)に、秩父郡皆野町は、俳人の金子兜太氏(かねことうた)が生育された。島遍路の巡拝で尾崎放哉に出会った。奇妙な縁を感じた。放哉は、種田山頭火と同様にお酒が大好きで、度を越された。自由律詩の俳句では、ご両人とも一流で独自性ある。数度この海岸近くの記念館は、建て替えられている、との案内であった。
今回は、巡拝が目的であり、腰据えて味わうのは次回か。尾崎放哉記念館のウェブで「放哉」南郷庵友の会が紹介され、小豆島を拠点に活動されているとか。
第58番西光寺・第58番奥ノ院誓願の塔へ行く、ここは「迷路のまち」と名を売っているため、塔は見えるがなかなか行けない、行きにくい。何回か、人に道を尋ねる。西光寺境内には、放哉、山頭火の句碑があった。ご住職と思われる方が、読経に合わせて木魚を叩いて下さった。このお寺で、ご朱印最高の8ヶ寺分捺していただく。第58番・第59番・第60番・第61番・第62番・第63番・第64番・第58番奥ノ院。
お寺に、渕崎方面の第57番浄源坊・第53番本覚寺・第65番光明庵の道を尋ねる。土庄役場前の遊歩道橋渡り、県道253号へ進み、➡へんろマークの方向へ行く、と第57番浄源坊があった。広場が前にあり、地元の皆さんの憩いの場、と思われる。また、へんろ➡マークの方向へ坂道を上がったり下がったり、対岸の土庄港を眺めながら第53番本覚寺・第65番光明庵へ到着。石段を下り本堂内へ。ご住職さんに読経の合いの手を入れて貰える。読経後、いろいろと談笑し、明日の予定を話す。
どの程度行けるか教えてもらう。「第59番・第60番・第61番は土庄港下の半島に当たり、歩行では時間がかかる。それでも、土庄港に戻り、そこから四海路線バスにて本覚寺前で下車すれば、第66番等空庵・第68番松林寺・第67番瑞雲堂第・第69番瑠璃堂・第70番長勝寺まで、一日で歩くことができる。そうして、第70番長勝寺近くの、長浜から路線バスにて土庄港の旭屋旅館に戻れる」と。親切に教えてもらう。
今までの、島遍路のご接待や気づきについて歓談する。このお寺さんのご本尊は、五大明王・不動尊であり全国的にもめずらしい。護摩札も受け付けてもらい、後日、自宅へ郵送してもらう。最後に、困ったら連絡してください、と暖かい言葉をいただき本日の歩行疲れが吹き飛ぶ。
宿へ帰る途中、小豆島霊場総本院の前を通る、授戒を終えた団体さんを見かける。明日の予定を考える、歩くかレンタサイクル半日かと、取り合えず宿にてレンタサイクルを予約する。
本日の参拝17ヶ寺・26000歩・17.6キロ
第74番円満寺・第49番東林庵・第50番遊苦庵
第52番旧八幡宮・第51番宝幢坊・第54番宝生院
第55番観音堂・第56番行者堂・小豆島霊場総本院・第62番大乗殿・第63番蓮華庵・          第64番松風庵・尾崎放哉記念館・第58番西光寺・第58番奥ノ院誓願の塔・南郷庵・第57番浄源坊・第53番本覚寺・第65番光明庵
宿泊 土庄 旭屋旅館
 

3月17日(金) 晴れ 4日目 歩き島お遍路

全日レンタサイクル利用。
6:30に朝食を食べ、女将さんからお接待をいただき(おにぎり2個)、7:00少し前に出発する。サイクルでの早朝、少し肌寒である。先日、池田の病院でバスから降りてきた人を見る。毎日病院まで通われているのだろうか。
途中で、バスを洗車している人に道を尋ねる。引き返し土庄港フェリー乗り場前を過ぎ、海岸沿いを走り小瀬方面に向かう。海難事故にて供養の犠牲碑があり、そこの地蔵菩薩像に般若心経一巻をあげる。気持ち良く海を眺めながら、力強くペダルをこぐ。部落あり第61番浄土庵の案内板があった。境内綺麗に掃き清められていた、軍人の日清・日露記念碑が目立った。朝一番気合入れ読経をあげて、第60番江洞窟を目指す。  細川藩の石切丁場跡の案内板があった。当時大阪城の石垣を造る為、各藩が幕府の命により競って大阪城石垣造営の為、岩を大阪に運んだ。
逆から巡っているため、第60番江洞窟の表示板を見落とす、「小豆島お遍路案内地図」を確認し、引き返し発見する。海岸脇の洞窟であり、波が荒く満潮時、海水が侵入してくるのでは、と余計な心配をする。洞窟内のご本尊は弁財天女。「ご真言 オン ソラ ソバティ エイ ソワカ」である。お勤が終わったら「コーヒーがあります」、とご高齢の方からお声がかかる。馴染みない真言を唱える。大師堂上の阿字の梵語がパワースポットである、と後で聞いた。
この庵主(あんじゅ)さん、何と年齢が96歳、80代に高野山で得度して仏道へ入られた、めずらしい方であった。資格は、権教師であり祈祷はできるが、護摩は焚けないそうだ。高野山の大学院密教学修士課程を卒業されている。五体投地(ごたいとうち)のスピードが、皆さんと違うため肩を叩かれた、とか。100回毎日の朝行は、年齢に過酷であった、とか。マスター論文は、空海著「般若心経秘鍵」(はんにゃしんきょうひけん)について、この論文を書き、学位を取得される。
プロフィールは、長野県で生まれ、英語の先生に感化され国際英語検定一級を取り、戦後GHQで活躍、その後商社マンを経て、イラク在住したこともある。機縁・仏縁にて、80代に高野山で得度する。最初は、特に信仰心はなかった、とか。
朱子学者 佐藤一斎「言志晩録」
(孫引き安岡正篤著、一日一言)
「少くして学べば荘にして為すあり。荘にして学べば老いて衰えず。老いて学べば死して朽ちず。」
少く…わかくと読む
まさに、上記の言葉を自ら証している。とても貴重な御仁である。地元の新聞にも取り上げられている。幾つになっても、学び続けることが大事とのお手本である。高野山主催のインド旅行を通じて、第58番西光寺の先代ご住職との縁があり庵主となる。
第60番江洞窟の霊験あらたかなスポットは、朝日の射光が、11月の朝7:30頃に弁財天様にふりそそぎ抱擁される。また、8:30頃弁財天様の前で光輪が見られ弁天様の笑顔と称している。この光の摩訶不思議なふたつの現象は、江洞窟を特別なひと時とする。また、先ほど記した洞窟の巌に梵語(ぼんご)の阿字(あじ)が浮かび特別の霊力を放っている。
お遍路さんが、洞窟内に巡拝あり。庵主さんがご案内に向かわれる。第59番甘露庵に向かう。山門脇の鐘を打ち、参拝をご本尊様に報告。巡拝後、5人の参拝者が姿を現す。その案内人が鍵を出し、庵の裏戸からお接待のみかんを持ってくる。私も、ありがたく2個いただく。
膝や足が、先日から気になっていたので、ドラッグストアにてシップ購入。東洋紡績渕崎工場跡へ向かい、
先日の本覚寺から海岸通りを走り、伊喜末の第66番等空庵へ。お年寄りの寄り合い憩いの場と云った空間。  レンタサイクルは狭い遍路道にも動じることなく機敏に快走。
第68番松林寺へ本堂にて読経しセルフペッタン3ヶ寺捺す。脇にお茶のお接待場あり、インスタントコーヒーと飴をいただく、納め札に、お礼の言葉を添えあとにする。本堂前の石仏と花の写メを撮る。
第59番甘露庵で出会った一行に会う。この一行とは、第67番瑞雲堂・第69番瑠璃堂・第70番長勝寺まで会うことになる。車とレンタサイクルが同様なスピードにてお寺参拝。
狭い遍路道を上手に操作しながら、第67番瑞雲堂へ。若い先生に手を引かれ幼稚園児が、歌を口ずさみながら小高い丘を上がってきた。可愛らしい声で挨拶。四海方面に向かい、四海郵便局の前を通り、第69番瑠璃堂へ。部落に入り道がまがったりくねったりで地元の人に確認する。それでも、先ほどの一行より先に第69番瑠璃堂へ到着。お互い「よく会いますね」、と思わず苦笑い。
一足先に、レンタサイクルを転がし第70番長勝寺へ。このお寺は、忠臣蔵の大石内蔵助の邸宅をもって建立された、とのこと。地図上では、赤穂藩と小豆島は瀬戸内海があるだけでお隣さん同士である。経済・文化等の交流が盛んであった、と思われる。
境内の長椅子に腰掛けていると、先ほどの一行が到着、「一緒に参拝しませんか」と声かけられるが。本堂内へ入らず、「お先に、どうぞ」と譲る。読経の間、お接待のおにぎりを頬張る。
一行が立ち去り、本堂内へご婦人が座っていたが若い住職さんに入れ代わる。読経中、木魚を叩いていただく。若い住職から声がいいと褒められる。島の生徒の卒業記念として「卒業遍路」の催しがあり、先日歩いてきた、と話された。郷土の島の文化を旅立つ前に再度知ってもらい、郷土愛を育むこころの学びである。
今までの島遍路のエピソードや秩父観音霊場、高野山専修学院の事など話題が広がる。サイクルで、本日だけ巡っていると話す。第72番奥ノ院笠ヶ龍は参拝時間が8:00から14:00まで、崖をくさりで攀(よ)じ登るため、安全を考慮しての時間制限がある。よって、本日は断念し明日の予定にする。
第71番滝ノ宮堂へ向かう、途中姉からメールあり。「母方の本家の叔母さん入院」と、気を取り直す。この遍路道ではサイクルを押し上げても転がしきれないと判断、引き返しの選択をする。幅広の林道を転がす。砂利道がしばらく続く。日が暮れてしまっては、勘弁である。ようやく、アスファルト道にて、「カラオケ道場」と看板あり。人がおり、第71番滝ノ宮堂を尋ねる。直進して、左に八坂神社があり、右方向へ行くと、その先の火の見櫓(やぐら)があり、その脇と教えてもらう。
若いご住職さんが車で帰られるところであった。私を見て、第71番滝ノ宮堂を開けてくれる、小奇麗な堂で新しいご本尊様であった。読経してしばしの歓談、お四国八十八ヶ寺第75番善通寺へ修行され2年とか。行体験が厳しいもので、体重は見る見るうちに激減し、睡眠は限られる。ご飯を食べながら居眠りをしてしまう状態らしい。一心不乱に行をしていると、悪魔の誘い(睡魔・飲食の飢渇・行から逃避)があったとか。感性が段々研ぎ澄まれ、錯覚か妄想かはっきりしないが、光輝く仏が見え、加持(かじ)により大日如来と行者で没我我入(ぼつががにゅう)を体感したとか。貴重な話を聞くことができた。一生懸命が極まると心の内より、触発(しょくはつ)された能力が産出されるのか。何事も一生懸命が大事か、事がならないのは一生懸命が足らないからかな?
この方も、キャタピラー関係の業種から、僧侶に編入組である。秩父の高篠にあるキャタピラー講習所に通われ、春なのに、朝晩寒かったと話される。明日巡拝する。第75番大聖寺の若住職さんと思われる。
馬越停留所まで、サイクルで快走する。そこでしばらく休み、心地よい風を体感しながら坂を下り、白衣の観音像を尋ねる。正式な名は小豆島大観音仏歯寺である。(数日前にしあわせ観音と説明した観音像、高さ50mから60m)小豆島八十八ヶ所には入っておらず、平成7年に建立された。この年は、阪神淡路大震災やオウム真理教の地下鉄サリン事件があり激動の年であった。
この観音像内は、立派な作りでエレベーターに乗り胸飾りの所まで30秒で上がる。バブル期であったので作ることが可能であったか。しかし、淡路島の平和観音像は今や廃墟となっている。
この観音像内、様々な仕掛けや照明がなされ維持費だけでも大変さが伺(うかが)える。当時、維持にかかる費用と集客の見込みが甘かったのでは。もっとも、日本国民全体がバブル景気に酔いしれていた。
スリランカから寄贈された、と云う仏歯を拝み、階段にて下る。長い階段が続き歩きがいある。一階のソファーでスリランカのティのお接待、土産を買い、郵便局留めにて自宅へ送る。お客は、私だけであった。平日の午後3時頃金曜日のこと。帰りに一組のカップルにすれ違う。
巨大な白衣の観音像を後に、坂を一気に土庄の町まで下る、気持ちよく風を感じペダルをこぐこともない。迷路のまちの駄菓子屋「モノノケ堂」に寄り、しばらく店内の品を見る。早く宿に着き、風呂に入り疲れを癒す。明日のプランを思案する。
本日の参拝9ヶ寺・何故か16000歩
第61番浄土庵・第60番江洞窟・第59番甘露庵
第66番等空庵・第68番松林寺・第67番瑞雲堂
第69番瑠璃堂・第70番長勝寺・第71番滝ノ宮堂
小豆島大観音仏歯寺
宿泊旭屋旅館 ☎087-62-0162

3月18日(土) 晴れ 5日目 歩き島お遍路

本日も、身軽な支度にて旭屋旅館を出る。本日も女将さんのお接待をいただき出発。土庄の土庄本町で7:35の中山線に乗車、7:45に下黒岩下車。第74番円満寺のトイレを借り、小馬越へ坂道を上がる。第73番救世堂は、分かりにくく通り過ぎてから地元の人に確認する。ここの観音様は、四国八十八ヶ所第86番志度寺の観音菩薩と兄弟とある、仔細は同木で彫った、と説明されている。しばらく行くと、第72番滝湖寺があり、大きな梵鐘(ぼんしょう)を撞(つ)き入山(にゅうざん)のご挨拶。本堂は響きよくお四国の第64番香園寺をこじんまりした感じである。読経の響きもよく、自画自賛(じがじさん)か。堂内の納経所に人いない時木槌で知らせてとあり、本堂前の小梵鐘を見つけ叩く。ご朱印も3ヶ寺分捺してもらう。
いよいよ本日のハイライト第72番奥ノ院笠ヶ龍である。300mの旧噴火山による岩山、懸崖(けんがい)に建てられたお不動様本殿、圧巻とした眺めである。梵鐘手前で、ゴジュウカラ(五十雀……小鳥の一種、四十雀、山雀等)に出会う。再度の出会いに、感じるところあり。
以前、日光東照宮の近くにある、旧田母沢御用邸(きゅうたもざわごようてい)へ訪れる。その邸内を散策中に出会って以来である。この小鳥は、わりと人に慣れていて直ぐには逃げない。旧田母沢御用邸は、大正天皇ご愛用の静養所である。今は、田母沢記念館として、利用されている。現在、皇室がご静養されている御用邸は、葉山御用邸や那須御用邸である。
梵鐘を撞いてから、くさりを握り登攀(とうはん)する。安全のため、手すりも付いている。奥ノ院への道はこの崖(がけ)のみ。第72番奥ノ院笠ヶ龍、ご本尊不動明王。狭い急な崖のくさり場を登攀のため、午後2時で閉門される。息が上がっているので、読経のご真言に気合が入る。
帰りの行者道を、若い女人に尋ねる。第72奥ノ院笠ヶ瀧寺霊場の案内図をもらい、「崖をおり、右大師堂方向へ」と教えてもらう。不動明王本殿の上に、さらに馬鳴堂や十三重塔があり、行者の本格的な山岳行場の様相をなしている。私は教えてもらった里へ下りる遍路道を行く。厳しい行者道である。本来は、第71番滝ノ宮堂から第72番が遍路道の順であるが、逆打ちとなる。(昨日サイクルと午後2時閉門のため困難だった)
途中、若僧侶とご婦人に出会う。「この道でよいですか」と確認する。行者道でお遍路さんが滑らないように、落ち葉や枯れ枝を掃除していた。本人、崖から滑らないように注意しながら下山する。
馬越の別れ道で、しばしの休憩。第75番大聖寺は、なだらかな道を下っていくと程なく到着した。梵鐘を撞き、本堂前でロウソク、お線香を上げる。本堂内へ二人のお子さんが迎えてくれた、かたわらにお母さんがおり、右手にはご住職さんがおられる。読経を終わり、しあわせ観音の仏歯が奉納されている場所を聞いたところ、胸飾りあたりとのこと。このご住職さん、普段はお四国第75番善通寺の要職を務める。運よく会うことができた。
数珠の種類が沢山あった、深い緑の数珠を購入する。
前年、お四国をジャンボタクシーで巡った時、第55番南光坊で母親の数珠が切れて第54番延命寺で購入した。4,000円位であり、もう少し好い数珠を探していた。普段に、使い勝手の良い数珠が気に入る。
本堂前にて、ご住職さんと歓談する。本来、山が好きで行者道や各地の巡礼地を巡りたいと。しかし、務めで忙しく暇がない、と残念そうであった。法要の時間、と娘さんからお呼びがかかる。
次のお寺は、第76番奥院三暁庵、笠松大師の名で親しまれている。無住のお寺だが、土曜の為、3名のご婦人がお接待をしていた。縁台にお茶とみかん、お手製のおせんべいが振舞(ふるま)われていた。読経後、ありがたくいただきながら歓談した。
その時、目の前に「奉納四十九夜忌記念碑」があり意味を尋ねたところ、お盆に耕地の男衆が、白装束にて、各家を練歩く行事と教えていただく。特に新盆宅は、念入りに上がり供養される、とか。四十九日はこの間死者の魂が迷っているとされる。中陰(ちゅういん)の満ちる日に佛となり、七七忌(しちしちき)の法要が営まれる。霊から仏に変わる。夜の意味は、通常は月待日で、二十二夜忌・二十三夜忌の月待講(つきまちこう)で、夜間に耕地人々の集いを意味していると、思うが。
次のお寺に急ぐ、海が良く見渡せる場所、対岸は岡山県である。古い宝篋印塔(ほうきょういんとう)が、第76番金剛寺の近くにあった。山門が修復中にて、車庫を通って本堂前へ、ご本尊様は不動明王。2ヶ寺のご朱印をもらう。
へんろ➡マークを確認しながら、第77番歓喜寺へ。よちよち歩きの幼児が、危なっかしい素振りで石段の上にいる。後ろからおばあさんが、急ぎ足にて走り寄る。
「父母恩重経」の一説が思い浮かぶ。
「二歳、懐をはなれてはじめて行く。父にあらざれば、火の身を焼くことを知らず。母にあらざれば、刃物の指を堕(お)とすこと知らず」
幼子が井戸の中を覗(のぞ)き落下しかねない状況を見る、と忍びなく手を差し伸べずにはいられない。ひとに本来備わっている善のこころを説いている。
路線バス見目の停留所にて、お接待のおにぎりを1個食べる。部活行く小豆島高校生徒と言葉を交わす。すでに、春休みなのか。
番外藤原寺は、停留所から近くにあり、「小豆島八十八ヶ所霊場」によると、巨富藤原兵太郎氏、浄財を投じて新寺を建立する、とある。名前の藤原をとうげんと読ませ、藤原寺(とうげんじ)とされたのではないか。又、薬師如来のご詠歌と今のご本尊不動明王のご詠歌が示されている。
県道26号を海岸沿いに歩く。北浦児童館を通り、小海停留所から、山の方向へ歩く。畑仕事しているお年寄りに第78番雲胡庵を尋ねる。菜の花、水仙、梅花が咲きほころんでいる。気持ちのよい村里である。庵の鐘をつき、読経を始めようとしていた時、団体さんが来られる先に読経を済ませてもらい、ゆっくりとお勤めを了す。
へんろ➡マークを目印に歩き、県道に出る。この間の県道には、道の駅、大阪城残石記念公園があった。帰りの路線バスと地図にて確認する。
琴塚停留所で、休憩しコーヒーとチョコの飲食。県道を海岸沿いに歩き、第79番薬師庵へ。ここでも全庵同様に、団体さんに先に読経してもらい、後ほどゆっくりとお勤め。歩き遍路は、自然を肌で感じ自分のこころを見直す、贅沢な行だ。時間に縛られることなく、自在にこころを遊行する旅である。ひとに道を譲る余裕がなければならない。タイムトライアルの競争ではない。己のこころを見つめなおす試みである。

大部港の手前にある第80番観音寺に着く。境内、本堂は豪華な造りである。又このお寺は、手打ちうどんのお接待がある「うどんの寺」として有名である。  参拝者の前で、若い僧侶が太鼓を叩きながら「般若心経」を三篇あげていた。私は、500円の赤色ロウソクを灯す。先程の僧侶でない、まだ髪の毛がふさふさの若い男子に、太鼓を叩きながら「般若心経」を三篇あげてもらう。我流で怪しく後についての読経が難しい。後つけず往生し聞くだけ。本堂から別の間に移り、うどんのお接待をいただく。ご朱印を3ヶ所捺してもらう。このお寺、独自のパンフレットで小豆島の4ヶ寺を案内していた。①小豆島大観音仏歯寺②このお寺子安観音寺③山の観音④第81番恵門の滝。この四カ所を観音寺が営んでいる。
さらに、海岸沿いを歩いていると、3台のサイクルが坂道をすごいスピードにて走り過ぎる。レース用車種、ウェアからレースに出る選手達か。秩父に帰り、サイクルショップで聞いた所によると、一日に60キロ~100キロ走行する、競技も可能のサイクルとか。サイクルの値段も備品の質も、別品のようだ。
小部公民館前の停留所にて本日歩行終了。16:27の路線バスに乗る。途中安堵(あんど)と疲れにて、揺れにまどろむ。東洋紡績渕崎工場跡で下車。運転手さんに乗り継ぎを案内してもらうが、歩いて宿へ帰る。
本日の参拝
11ヶ寺、歩数34000歩・距離23.4キロ
第72番奥ノ院笠ヶ龍・第72番滝湖寺・第73番救世堂第75番大聖寺・第76番奥院三暁庵・第76番金剛寺・第77番歓喜寺・番外藤原寺・第78番雲胡庵・
第79番薬師庵・第80番観音寺
宿泊旭屋旅館 ☎087-62-0162

3月19日(日) 晴れ 6日目 歩き島お遍路

今日は、安田のひろきや旅館に宿泊。リックを背負って出発、女将さんからお接待のおにぎりをいただく。
フロントで旅行会社の案内人から、声がかかる。予定を聞かれ、第81番恵門の滝から豆坂峠越えで福田へ行き、本日の宿泊はひろきや旅館と話す。西国観音霊場・坂東観音霊場・秩父観音霊場・四国八十八ヶ所霊場・最上観音巡礼と何十年も巡礼、巡拝をしている、と話される。又、ご縁が会ったらお会いしましょう、と別れの挨拶をする。
本日は、東洋紡績渕崎工場跡から路線バス福田行に乗り、小部不動尊口で下りる予定。セブンイレブンでお菓子とパンを買う。工場跡の広場では、日曜日でイベントの開催準備中であった。8:23に東洋紡績渕崎工場跡から乗車し8:52に小部不動尊口で下りる。第81番恵門の滝へ急坂を上る。へんろ➡マークを確認しながら歩く。途中にゲートありイノシシを里に入り込ませないため、頑丈に張り巡らされていた。まるで、鉄柵の中に入れられている、と思うほどである。
小豆島のお遍路さん中国地方の岡山や鳥取の方が多い。山道の脇には、巡拝50回、100回の記念碑が建立されている。
第81番恵門の滝は、ご本尊、不動明王様である。お堂は、岩場の崖の中に納まっている。鎖場は、第72番奥ノ院笠ヶ龍の岩場より、距離は短いが角度は幾分きつい。鎖に付随して手すりはあり、リックを背負って金剛杖や菅笠、頭陀袋(ずだぶくろ)があるので慎重に登攀する。足場をまず確認して三点確保してから登攀する。雨で岩場が濡れている時とか、下りの時はより危険である。
本堂に入り、荒い息と額からの汗がしばらく続く。洞窟内では、護摩が焚かれ不動明王のご真言が唱えられていた。赤い大きなロウソク500円を納め、読誦する。管理人と、しばしの談笑。帰りは危険が伴う岩場を避け、石段にて下る。
山門を通り岩がゴロゴロしている山道を下りている時、イノシシが50メートル先にお尻をむけて姿を消した。小豆島には、四国からイノシシが島伝いに泳いできている、と新聞で読んでいた。四国を追われたのか、自然と新天地を求めたのか分からないが、何頭もおぼれ運良いイノシシだけたどり着いた、と思われる。多くのイノシシは海流により、おぼれているのではないか。
上ってきた鉄柵を通り、閂をかける。福田方面の豆坂峠を目指す。確認のために、方向を地元の人に聞き再確認してから峠越え。しばらくすると、やはり鉄柵あり扉締めて紐で結わえる。数日前「島の卒業遍路」で生徒達が汗かき歩いた豆坂峠である。すれ違うひともなく、遍路道の岩に腰掛け、お接待でいただいたおにぎり1個とカレーパンを食べる。
休憩と栄養で歩き開始。岩の遍路道を下ると、目の前に福田ダム湖が広がる。建設現場で使われていると思われる。足場が組まれたところを通る。おそらく、ダム工事にさいして、遍路道が変わったと思われる。一番不思議に感じたのは、鉄柵を開けて出て来た所、なんと振り返ると「ダム関係者以外通行止め」とある。状況を鑑みれば納得であるが、入っていけないとこから出て来た。
次に遍路道の➡が、ダム湖から流出される垂直の壁に沿っての階段があり、そこを下る。ダム建設による面白い遍路道ができたようだ。結構距離あり、下りてから川沿いに吉田部落の第82番吉田庵に着く。何日か前、小豆島の生徒による「卒業遍路」があり、お接待のおにぎりが振舞われる。私は、持参のおにぎりを食べ気合いれて読経する。
近くのキャンプ場を兼ねた温泉施設に寄る。管理人に第83番福田庵までの遍路道を尋ねる。地図上では、大変な山道で国道へ行くことを勧めるとある。アイスクリームと牛乳を飲食。もう一峠へ。途中親子の鹿に出会う。音の気配で逃げて行った。
峠を下り83番福田庵へ読経を済ませ、5分位で第84番雲海寺・第85番本地堂に到着。高台にあるため、福田港と海がよく見える。2ヶ寺の読経後、ご住職との歓談。今の時間なら、当浜庵まで歩いて行ける、と助言してくれる。
第86番当浜庵を読経後、ひろきや旅館に電話して迎えをお願いする。歩いた所まで、迎えに来てくれる親切な旅館である。車は便利ですが、時間とお金をかけてひたすら歩かせてもらうのは、なお贅沢である。
本日の参拝6ヶ寺・歩数32000歩・距離22.3キロ
第81番恵門の滝・第82番吉田庵・第83番福田庵
第84番雲海寺・第85番本地堂・第86番当浜庵
宿泊 ひろきや旅館

3月20日(月) 晴れ 7日目 歩き島お遍路

路線バスにて当浜停留所で下車。リックなしで軽やかな歩行。第87番海庭寺は、海岸にあり潮風が感じられ、ロウソクや線香に灯火が難しかった。いよいよ、第88番楠庵の結願寺である。男の方が管理されており、島のオリーブの歴史について教えてもらった。オリーブの木で作られた、弘法大師のお守りをいただいた。
第12番岡ノ坊へ向かう。海岸から山道に入る、途中大きな雉に遭遇、ケンケンと鳴きながら羽ばたき姿をくらます。イノシシ・鹿・雉・ゴジュウカラと自然の生きものとふれる。あと、サルにでも出会えば童話、鬼退治の桃太郎である。鉄柵を開閉して紐を結わえ、安田の里へ着く。第12番岡ノ坊へ。春の彼岸の中日で墓参の方と挨拶する。ここで、小豆島遍路八十八ヶ所の遍路道が線でつながった。循環の巡拝が完了する。近くのひろきや旅館へ寄り、お土産を自宅へ送る。
前年、四国ジャンボタクシー八十八ヶ所お遍路前に、第1番から第23番まで巡拝しているので結願である。
第87番海庭寺・第88番楠庵 満願成就。
 
島崎式夫
(2016年3月13日ー20日 独り歩き遍路)
2017-06-15 | Posted in 体験談No Comments » 

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