遍路先達をする理由 by 島の坊主

小豆島遍路との出会いは、5年前高野山で修行を終え、小豆島にやって来たばかりの頃でした。
およそ1週間かけて、土地勘のない場所を彷徨いながら歩き遍路しました。
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始める前は、小さな島だし、とりわけ高い山があるわけでも、恐ろしい何かがいるわけでもなく、それほど大変な行程にならないだろうと高をくくっていました。
それがいざ歩いてみあると、平坦な道はほとんどなく、毎日何度もやってくる上り下りで、あっという間に身体が悲鳴を上げました。
小豆島には瀬戸内海の島の中で一番高い山(817m)があるのですが、そこを頂点とした海底火山の山頂付近が海面に出ているような地形で、数百メートルの山でも傾斜が急で、そこを海抜0m地点から登る繰り返しが予想以上に堪えました。
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3日目には足が痛くなり、普通には歩けない状態になってきて、そこをかばって他にも無理が出てくる、まさに修行モードに身も心も突入しました。
そういう時に地元の人に優しく声をかけられたり、お接待をいただくと嬉しさは倍増します。
加えて、目に映る景色もすべて美しくなってきて、有り難い、有り難い、歩けることが有り難い、生きているって有り難い、と大袈裟ではなく何でもかんでも有り難く思えてきました。
心の雑念が取り払われ、ただ仏と向き合う。合掌する手の指先、読経の一音一音、自然と気持ちが入りました。

そんな風に感じながら、最後の札所88番楠霊庵をお参りし、独り静かに結願しました。
打ち終わった時には、まだまだお遍路を続けられるのに、続けていたいなぁという気持ちでした。
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一番良かったのは? 一番辛かったのは? 好きな札所は? 嫌いな札所は? 何がどうなるの?
歩き遍路を経て、いろんな人に質問され、話す機会がありましたが、未だにうまく答えられません。
ふだんは無人の庵に、たまたま近所のおばちゃんが掃除に来ていて、疲れた顔をしていたのか「これ飲んで頑張り」とぬるいオロナミンCをもらった、あの札所が好き!と言ってもそれは万人には通用しない。
あの時、あの状況だから、ああ思ったけど、人にすすめて同じように感じることは絶対無いだろうし、あの札所にはこの良さがあるけど、この札所にはあの良さがあるから、どちらが上とか言えないし・・・
そんな誰も求めていないつまらない返答しかできません。

ただ、間違いなく言えることは、百の言葉、万の言葉を尽くそうとも遍路をしたことがない人には、遍路はわからないということ。
お遍路した人の数だけ、各人の正解があり、各々の1番があり、それぞれの遍路観があるのだろうと思います。

88ヶ所もあるのだから、一つ一つにファンができればいいし、88ヶ所もあるのだからどこかお気に入りの場所ができます。
それがご縁というものでしょう。
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私は、島を一周して、自分が堂守を勤める碁石山が改めて一番好きだと思ったし、ここから見える景色が世界中で一番美しいと思いました。
そして、ここに居らせてもらえる喜びを感じ、先人達が大切に護持し、受け継いできたものを、今自分の役割として引き継げることを素直に嬉しく思いました。
瀬戸内の離島にあって、自分が出て行かなくても素敵な人を呼び寄せる場所、自分はそういう特別な場所に暮らし、そこに居ることを生業にさせていただける、そういう幸せがあることに気づきました。

そして、そうした想いは札所の数だけあって、その場所に住んでいる人、或いはその周辺に住む地元の人によってずっと守られてきたんだろうと思います。
小豆島霊場の札所は、集落毎に点在しているから、人から人へそれが文化として伝わる仕組みになっているんでしょうね。
最初に88ヶ所を選定した人は本当に凄いなぁ。

この素晴らしい文化を知って恩恵を受けた人から、まだ気づいていない人、知らない人へ伝えていく。
仕事じゃなくて、趣味でもなくて、ライフワークとしてやらなくちゃ!
とっても楽しくて、やり甲斐のある作業です。

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第2番札所 碁石山堂守
大林 慈空

2014-11-04 | Posted in 体験談No Comments » 

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